■Infomation
前頭前野は、「痛みと苦しみ」、言いかえれば、ごほうびとお仕置きで学習する領域のひとつなのである。
善悪の区別を学ぶのもこの場所だ。
前頭前野が丸ごと失われたり、その「構成部品」が機能しなくなったりすると、道徳の学習は永遠に始まらない。
脳の発達について多くのことがわかってきた現在、常軌からはずれた行動を、社会や文化とのからみだけで語るのは「誤りだし、不完全だ」とDは言う。
とくにルールを意図的に破って反省の色もないような場合は、先の2人のように生物学的な原因が大きいのではないか。
「そういう人は、子どものとき頭をけがしたり、重い病気にかかったことがないか考えなくてはならない。
昨今多くのことがわかってきた以上、これは生物学的な話、これは社会の話と簡単に割りきってはいけない」。
最近開かれた神経科学協会の年次会合で、最も人気を集めたパネルディスカッションのひとつが、裏に込められた皮肉を察して、自分のことを笑いの種にできる。
親たちに、思春期の子どものどんなところが好きかという質問をすると、こんな答えが返ってくる。
世界のなかにわが身を置き、外側から自分の姿を見られるようになるのは、ティーンエイジャーになってからだ。
3人の男の子をもつ母親は、神経質な息子がはじめて自分のことを冗談にしたとき、よい意味で衝撃を受けたと教えてくれた。
彼はスカッシュとホッケーをやろうと思い、それぞれのチームの入団試験を受けた。
帰宅しただという。
始まったばかりの議論はさておき、キッチンや居間で日々子どもと向かいあっている親は、思春期の始まりを告げるさまざまな徴候に接しており、その全部にとは言わないまでも、うれしい驚きを感じることもある。
実際に思春期の子をもつ親たちに話を聞くと、思慮が深くなるとか、他人の立場でものを考えられるといったこともさることながら、いちばん印象ぶかいのはジョークにまつわる変化倫理をテーマにしたものだった。
神経科学者が道徳の本質について議論するなど、数年前までは考えられなかった光景だ。
善悪の基本的な知識は、脳と直接結びついているのか?Cの銃撃事件は、前頭前野の欠陥、あるいは報酬システムの接続異常に原因があるのか?うすら笑いを浮かべて銃を乱射するのも、あるいはホームレス向け給食ボランティアに参加するのも、みんな成長途上のシナプスのせいにしていいのか?これらの疑問は、いまや神経科学も避けては通れない。
だが神経科学だけでは、部分的な答えしか出せないとDは言う。
ダンススタジオの価値を十分に感じることができれば、あなたが選んだダンススタジオは間違っていなかったと言えるでしょう。